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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編
第1回 ドリルでも自分のことを言いたい学習者-単調にならないドリルって?


今回から12回(毎月10日、25日)にわたって、東京外国語大学准教授荒川洋平先生の「荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス」がスタートします。
これから日本語を教えてみようと思っている方、日本語を教え始めたけど毎日が試行錯誤で戸惑っている方などなど、日本語教育の初心者の方に、具体的な教え方のアドバイスを物語形式で提供していきます。

登場人物は『もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』で「いきなり先生」をやることになってしまった4人。主婦の平野さん、定年を迎えた今井さん、オーストラリアに留学した河田さん、ミュージシャンの相馬さん。それぞれ事情があって、日本語を教えることになった4人の「その後」を通して、日本語を教えることの難しさや面白さを実感していただき、皆さんが直面している問題や課題の解決に少しでもお役に立てればと思っております。

もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』および『続・もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』をすでに読まれた方はもちろん、まだ読まれてない方でも、十分に楽しく、ためになる連載を心がけて参ります。




第1回 ドリルでも自分のことを言いたい学習者-単調にならないドリルって?






平野俊子さんは東京郊外のF市で、ボランティアの日本語教師をしています。外国人に日本語を教え始めて3年くらいになりますが、まだ授業のたびに戸惑うことが少なくありません…。

ある日の夕方、平野さんは大柄な男性、リックさん(カナダ人)、日本人と結婚した主婦、黄宇霞さん(中国人)にドリルをしていました。ドリルとは、ある文型の練習のために、特定のルールの中で教師が指定した単語を使って、その文型を含んだ文を学習者に言ってもらう活動です。

今日、練習する形は、
(バス)で(スーパー)へ行きます。
というものです。カッコの中は平野さんが指示して、学習者がそのルール通りに文を作ります。


平野さんは、準備したとおり、まず自分の右耳を指さして、二人の学習者に言いました。

―リックさん、黄さん、聞いてください。
二人は身を乗り出して、平野さんの次のことばを待ちます。

―バスでスーパーへ行きます。
平野さんはそう言って、手のひらを差し出すような動作をします。



それを合図に、二人の外国人は、同じ文を口にしました。
―バスで、スーパ…
ところが、リックさんが口ごもってしまいました。

平野さんの話すスピードは普通の日本人と同じなので、リックさんにはちょっと厳しいようです。
それを見た平野さんは、バスの絵が描かれた紙を取り出すと、机でそれを動かして

―バスで…
と言い、バスが進む方向へ、スーパーの絵を置きました。リックさんはオゥ、と納得すると、



―バスで、スーパーへ、行きます。
と、口ごもりながらも何とか言い切りました。

それを見た平野さんは、バスの絵をしまい、自転車の絵を出して、同じようにスーパーに向かわせ、黄さんに手のひらを向けました。



―自転車でスーパーへ行きます。
黄さんはよどみなく答えます。
ところが、同じ文を言ってもらおうと平野さんがリックさんに手を向けると、彼は自分のひざを叩き、こんなことを言います。

―ああ、先生…、私は…usually…

平野さんは一瞬、きょとん、としましたが、すぐに彼の意を察しました。リックさんは現実の生活では自転車でなく、歩いてスーパーへ行くようです。
ドリルはそもそも、口ならしの練習です。ドリルを載せている教科書も、現実の学習者一人ずつの生活を考えて作ることはできません。
「歩いて」はもっと先の課で出て来る表現ですし、「歩きで」はあまり言わないような気がしました。

数秒迷った平野さんは、にこやかに自転車の絵をしまい、自分の足を示すと、少しポーズを置き、それからリックさんに言いました。
―…歩いて、スーパーへ行きました。
リックさんは大きくうなずき、

―歩いて、スーパーへ行きます。歩いて、西友へ行きます。
と、元気に答えました。平野さんは続けて黄さんに合図をします。

―わたしは、自転車で西友へいきます。
黄さんも笑ってそう答えました。
言いたいことが言えたリックさんは、その後は素直に「自転車で」「バスで」、「駅へ」「会社へ」とドリルに協力してくれました。



【どうする? どうして?】
ドリル中に、教師が与えた合図通りに話さず、自分の体験や習慣通りに語りたい学習者はいるものです。そのすべてに対応していると、授業の予定が狂ったり、とんでもなく先のことを教えてしまったりしますが、少しは取り入れてもいいと思います。杓子定規にならず、しかし脱線続きにもならないようなバランスの良さ。なかなか難しいところですね。

ついでに、ドリルのときに教師が出す合図は「キュー」と言います。キューは「言ってください」のように口で言うものだけではなく、平野さんがしたように手で合図をするものや目で語りかけるもの、またそれらを組み合わせたものもあります。ドリルはつい単調になりがちな活動ですが、キューのバリエーションを増やすだけでも、ずいぶんにぎやかになります。ぜひ試みてください。



荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。


荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉