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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編
第10回 組み合わせでイミが七変化―複数のイミをどう教える?

相馬さんは南オーストラリアの高校で、日本語のアシスタント教師をしています。今日はお昼をはさんで4連続の授業でしたが、ようやく終わったところです。

―相馬先生、さようなら!
生徒たちは口々にそう言って、教室を出て行きます。日本語のクラスを出るまではずっと日本語を使うようにと、上司に当たるパーカー先生は生徒たちに厳しく指導しています。生徒たちも心得たもので、教室から廊下に出るや否や、すぐに英語に切り替えておしゃべりを始めます。

相馬さんも生徒たちの背中を見ながら、教室を出ました。前を行く子どもたちの英語は早口で聞き取れませんが、英語の勉強のつもりで、相馬さんは時々、耳を傾けています。
ところが、前を歩くスマートフォンを手にした男子生徒からは、こんな声が聞こえてきました。

―喂,你在做什么?

―ええっ?!
相馬さんは声を上げてしまいました。英語がまだまだの彼ででも、これが中国語らしいことは分かります。それを聞いた男子生徒―ニコラス君―は、また何か話すと電話を切り、相馬さんの方を振り返りました。

―ニコラス君、今のは中国語ですか?

―はい、そうです。中国語は、わたしのお母さんの舌ですよ。
ニコラス君はそれだけ言うと、メタルフレームの眼鏡をちょっと手で引き上げ、会釈をすると、走って行ってしまいました。

(お母さんの、舌?)
相馬さんは訳が分からず、立ち止まってしまいました。遅れて教室を出た生徒たちは「さようなら!」と、相馬さんに投げかけ、抜き去っていきました。




☆          ☆          ☆

―お母さんの舌、ね。つまり、それはネイティブ・ランゲージのことだよ。
教員室で事情を聞いたパーカー先生は、カタカナ英語の発音を楽しむかのように、相馬さんにそう答えました。

―つまりニコラス君は、中国語の、ネイティブっすか?

―そう。ニコラスは中国系の移民で、確か、上海から来ましたね。
なるほど、と納得した相馬さんですが、聞くは一時の恥、と質問を続けました。

―パーカー先生、舌って、英語で、ランゲージ、すか?

―Well,
パーカー先生はどう言ったものか、と少し考えて、

―舌は tongue です。牛タンの「タン」でしょ? でも、「言葉」とか「発音」とかの意味もありますよ。だって、人間は、舌でしゃべるでしょ。ええっと…
パーカー先生は電子辞書を取り出して、キーを打ち、やがてディスプレイに映じたあることばを示しました。そこには「口舌の徒:言葉ばかりで実行が伴わない人」とありました。
日本人の自分も知らないような語句を探しだすパーカー先生の日本語力に驚嘆しながら、相馬さんは、この「意味の広がり」を、どうにか授業で使えないかな、と考え始めました。

☆          ☆          ☆

その3日後、相馬さんは、ニコラス君がいる10年生のクラスを教えていました。教えたと言っても、今日は学期の終わりですることもなく、京都の観光ビデオを見せただけで、時間が余ってしまいました。そこで、まだ生煮えのアイディアでしたが、相馬さんは新しい活動をすることにしました。

―みなさん、これは何ですか? 言ってください。
相馬さんはそう指示すると、クラスを見渡し、自分の口を指さしました。

―口!

―口、です。
生徒たちは、それこそ「口々に」言います。相馬さんはうなずくと、ホワイトボードに大きく「口」と書きました。そして同じように、目・耳・手・足を示し、その漢字を書きました。

―みなさん、見てください。
相馬さんはそう言うと、1枚の絵を生徒たちに示しました。絵の中には数人の女の子がおり、みんな楽しそうにおしゃべりしていましたが、一人だけが黙っています。




―見てください。みんな、話します。たくさん、話します。でも、この人を見てください。佐藤さんです。佐藤さんは、あまり話しません。
言いながら相馬さんは、絵をゆっくり右から左に動かし、クラスの全員に「佐藤さん」のありようをイメージさせました。

―皆さん、見てください。
相馬さんはホワイトボードに書いた5つの漢字―口・目・耳・手・足―を示しました。

―日本語のエクスプレッションです。佐藤さんは、あまり話しません。佐藤さんは、something が、重い、です。何が、重いですか? この5つから、選んでください。
生徒たちは、どうやら相馬さんの説明を理解したようで、いっせいに言いました。

―口が重いです!

―口です!
などと言いました。

―そうです! あまり話しません、は「口が重い」です。
生徒たちは、前に習った2つの単語「口」と「重い」の組み合わせが、意外な意味を生むことに驚いたのか、興味深そうにホワイトボードを見たり、隣同士で話したりしています。

―先生、僕は口が重いです!
ニコラスくんが、楽しそうにそう言いました。

―Boo!

―No!
生徒たちは口々に反対を唱え、普段からおしゃべりのニコラス君に文句を言いました。最前列に座っているメリッサさんは、

―いいえ、相馬先生、ニコラスは口が軽いです! 
と言い、周囲の生徒も口々に「そうです!」と賛同しました。

(あ、そっちも言えるな!)
相馬さんはそう考えながら、次の「高くて手が出ない」の絵を生徒に示すと、説明に入りました…。


【どうする? どうして?】
ある日本語の単語を、別の外国語で何と言うのか。
これを考えたことがない人は、おそらくいないでしょう。
初級の外国語学習というのは、この疑問の連続です。ですから英語圏の学習者だったら、新しい単語を習ったり、時には教師に訊いたりして、たとえば cooking は「料理」、moneyは「お金」などと単語を増やしていくわけです。

ところが、基本語の多くは、意味が一つではありません。相馬さんが授業で使った「口」であれば、「何かが出入りするところ(例=口が広い瓶)」や「始まり(例=宵の口)」のようにさまざまな意味があります。もちろん、「話すこと・ことば(例=口が重い、口が過ぎる)」も、その一つです。

問題は、多くの学習者も、また教師も、1つの単語には1つの意味だけが対応するかのような、「一語一義」に陥ってしまうことです。しかし「口」が示すように、基本的な単語ほど多くの意味があるものですし、その2番目、3番目の使い方は上級の語よりも使われる頻度が多く、学習者が出会う機会も多いものです。

時には、基本語の別の意味や、「口が重い」のような易しいことばの組み合わせが生み出す新しい意味を教えてみるのも大切です。ただでさえ、新しい単語を導入するのに大変なのに、そんなことは出来ない、という考えもあるかもしれません。しかし、そのすべてを学習者が覚えなくとも、基本語には実はたくさんの意味があること、簡単な語の組み合わせが時に新しい意味を持つことが理解されるだけでも、その授業には充分な意義があるのではないでしょうか。

ちなみに本文では「口が重い」と「口が軽い」を単純に正反対の意味として取り上げていますが、「口が軽い」はおしゃべりであることと同時に秘密を誰にでも話してしまう、信用できないという意味もありますので、本来ならその点にも触れるべきでしょう。



荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。


荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉