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荒川教授の「とりあえず日本語」ブログ
第7回 「ですな」をめぐって


他の学問同様、言語学も進歩していくので、
その時代の言語現象を追ったものは、
今は読んでも、何だかなー、というものが多い。

昔の映画カチンコで、恋する相手に連絡が取れずに困っている状況を見るときの、
(携帯phone to使えばいいじゃん)
と、思うのに似ている。
先日、そんなことを考えながら、
筑摩書房から出ていた『言語生活』本をパラパラ見ていたのだけど、
面白い記事がひとつ見つかった。ひらめき

老人が使いそうな終助詞
」(例:しかし、アレです
の動機づけを探った聞き取り調査だ。

 

実はほとんどの人が、
年齢を考えて自主的に「な」を選び取っていた、とのことだ。

つまり、多くの人が、高齢者になってから、
老人っぽい言葉も選び取っていることになる。
いわばお年寄りたちは、
新宿より巣鴨に行くようになるとか、
パステル系ではなく、地味な色の洋服を買うようになるのと同様、
ことばも「年齢相応」という観点から選び取っていることになる。
確かに、理由のないことではない。

たとえばある少年がオトナでありたいと思ったら、彼は

・半ズボンを履くのをやめて
・200円高いけどマックよりもスタバでコーヒー喫茶店を飲んで

そして必然的に
・オトナっぽいしゃべり方や語彙を選ぶはずだ
(逆に言えば、単にラクだから、という理由のみで
ある男性が半ズボンを選択すれば、それは完璧なオヤジになったことを意味する)。
ただし、疑問が一つ残る。
一般に少年がオトナっぽく振舞いたがるのは、
今の自分より確実にオトナが良い
という判断を下したからだ。
じゃあ一般に、中年は、老年になる方がよい、という価値づけをするのだろうか?
黄昏よりも、少しでも長い午後を味わいたくはないのだろうか?
自分だって、今の年齢やありようは仕方ねぇなと思うだけで、
中年真っ最中でOK、という自己肯定はないけれど、あさって還暦ね、と言われたら、
やっぱりちょっと待ってくださいあせあせ(飛び散る汗)、と言うだろう。
となると、お年寄りによる「ですな」の選択の背後にあるのは
ある程度の年齢になって若い人の態度や行動をするのはみっともない
という考え方じゃないかな?
これは、自分にも覚えがある。
たとえば、大阪に出張に出かけるとする。

20代の時はミナミのカプセルホテルに泊まることに抵抗はない。
30代だったら、天王寺あたりの1泊6000円くらいのところを探して、
何千円か浮いたぜ、へへへ手(チョキ)、と喜ぶだろう。
でも、40代になると、それはすごくみっともないし、恥ずかしい気持ちがする。
仕方ないから、足が出てもヒルトンやリーガロイヤルに泊まることになる。

これは収入が昔よりも上がって、そういうところに泊まりやすくなった、
ということとは関係ない

自分の年収が今の半分でも、たぶん同じ行動をすると思う。
というのは、年齢相応の行動を取らないのはすごく恥ずかしいし、
自分に許せない気持ちがするからだ。

他の場合でも同じで、たとえば年齢が行くと、
2キロ先までの移動で歩くよりもタクシー車(セダン)を使うほうがまっとうに思えるし、
英仏の辞書もペーパーバックではなく、革装を買うようになる。
こんなことは、昔なら考えもしなかった。
でも人が自然にそういう考え方をするようになるからこそ、
あらゆる物品やサービスにおいて、
スタンダードなものと高級なものが共存するのだろう。
「です」は「です」より高級というわけではないけれど、
ある年齢カテゴリーで使うべきリストのトップには、ちゃんと収まっていて、
それが分かる時期が必ず来るのだろう。
ま、それが世間の成り立ちというものですな。

 

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