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荒川教授の「とりあえず日本語」ブログ
第8回「音は有限、世界は無限」


人間がことばのために作り出せる音、つまり言語音には限りがある。
喉や歯、それに舌とか上あごくらいで音を作らなくちゃいけないのだから、
その数はさほど多いものではない。
だから、たとえば日本人にとって、こんな音は出したこともない、出せない、
という外国語の音は稀だ。
せいぜい、フランス語のR-うがいをする時のように舌の奥で作る
「グ」と「ル」の間みたいな音-くらいだろうか。

 

さて、音に限りがある以上、
それを組み合わせて作れる単語の数にも、やっぱり限界はある。
分厚い国語辞典や英和辞典本を眺めると、限界なんてないように思えるけど、
単語を作るための適切な長さの適切な組み合わせとなると、やっぱりそんなに多くはない。
仕方ないから、ある音の組み合わせで、いろいろな単語や意味を示すようになる。
「雨」と「飴」は同じ音だから同音異義語。
人の「足」はテーブルの「足」にも使うから、「足」は多義語だ。
言語音を、無限ではない資源だと考えれば、この工夫は感心できる。

ところが、その資源の無駄使いも、実は頻繁に行われている。

たとえば、現在の政党名は、ある世代以上の人には多すぎて混乱してしまうだろう。

・与党は「民主党」
・野党の第一党は「自由民主党」
・民主党議員の多くは旧「自由党」
・野党の「社会民主党」
・昔の野党の「民主社会党(=民社党)」

これから日本の政党政治がどうなるか、僕なんかには、もちろん分からない。
でも、政党に付ける名詞、つまり「音資源」がもう枯渇しつつあることは間違いない。
政党を作っては解散するのは時の状況で仕方がないかもしれないが、
もう理想の政治を体現するための音や単語は、ほとんど使い尽くされてしまった。あせあせ(飛び散る汗)
もちろん、本来の意味を示さないけど、そのことばを使う、
という事態そのものは、日常でもよく見聞きする。目耳
早くなくても「おはよう(=お早う)」はその端的な例だし、
引越し状に書く? -お近くまでいらしたらぜひお立ち寄りください
だって、実際に来られたら部屋は片付けなくちゃいけないし、がく~(落胆した顔)
お茶喫茶店とお菓子の用意もあるし、で大変だろう。
でも、これらのように長い時間で成熟して合意をみた表現と、
本質を示すわけでもないことばの無駄使い、音の無駄使いに、
僕たちはもう慣れ切ってしまったようだ。

もう「民主自由党」ができても期待はしないし、たらーっ(汗)
大量生産のお菓子に「こだわりの逸品」と名づけても、なんとも思わない。

そして、本当に民主的で自由な政党には名づけるべきことばはないし、
本当に厳選した材料で作った質の高いお菓子にも、名づけるための音がない。
今の日本語は、カタカナやアルファベットが氾濫しているけど、
これは上に挙げたような、ことばの無駄使いとも関わりがある。

和語や漢語のかなりのものは、もう搾りかす状態になってしまった。
たとえば「脳力」って何なのか、真剣に定義を考える人はほとんどいない。
手垢がついた、と言うよりは、触られすぎて磨耗し、姿がなくなった
というほうがいいかもしれない。
だから、カタカナ語に行く。
でもカタカナ語という資源だって、
「セレブ」も「メタボ」も実態がきちんと考えられないまま、
忘れられていくに違いない。
僕たちはことばを疎外し、シンプルな音、素朴なことばだけでは
不信を感じるような社会を作ってしまった。
いわば、情緒だけが残り、本質がどこかへ置き忘れられた社会だ。
いかにも肯定的な「民主」や「逸品」の氾濫は、からっぽの社会でしかないだろう。

 

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