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荒川教授の「とりあえず日本語」ブログ
第12回 電子書籍をめぐって


先日、僕の本本を出している別の出版社から、手紙メールが来ていた。

中はそこの社長から全著者に宛てたメッセージで、

-近いうちに電子書籍に対する弊社のアプローチを著者の皆様にお知らせします、
出版媒体がどうなろうと、出版事業に邁進して文化の発展に尽くしてまいりたく…

と、あった。
出版社なんだから出版事業に邁進する以外はないだろう、
有機野菜栽培やうどん販売には邁進できないだろうし、と思ったが、
いずれにせよ、出版界全体が

-電子書籍どうする、どうなるexclamation&question

と、思惑をめぐらせているのは確かなようだ。
僕は紙書籍本が好きなことでは人並み以上だが、
21世紀の後半には、紙の書籍はほぼ消滅しているだろう、と考えている。
その理由は、以下の通りだ。

 

まず、紙の書籍だけの利点は、
それが技術的なものであれば、必ず追いつかれてしまう。

もっと見やすく、上から鉛筆ペンでメモが取れるディスプレイはいずれ登場するだろうし、
もっと先には、見かけ上、紙と区別すらつかない液晶が普通になって、
書籍とノートの区分すら、曖昧になるだろう。

そのころには現行のiPadもキンドルも、
世界初のデジタルカメラやノートパソコンみたいな
アンティークの扱いになっているだろう。
また、紙の手触りが好きだから本を手元に置いておきたい、
という情緒的な欲求は、別の形でかなえられる。
たとえば現在、音楽を買う形態はCDCDを買うか、
ダウンロードするかだが、CDCDは「持ちたい欲求」に応えている最後の段階で
(紙ジャケなんてもっとそうだ)、ダウンロード優勢は止まらない。

本も、たとえば表紙だけ紙にして中に電子ディスクを入れて売る時代が
20年ほど続き、それからゆっくりとダウンロードの電子書籍に移行していくだろう。

もちろん、紙に愛着を持つ人たちがだんだんと年を取って、
人口比として少なくなれば、その形もなくなる
(後世、森林資源の破壊者として責められませんように!)。

生きているときには当たり前すぎるほど当然だったことも、未来にはたやすく変わる。
たとえば、江戸時代の中ごろに、
あと100年もすれば封建制度なんてなくなる
などと信じて亡くなった人はいなかっただろう。

技術や社会情勢が江戸期とは比較にならないほど激変している現在、
100年先まで紙書籍が安泰、と本気で考える人は、紙書籍が残るか残らないかではなく、
「紙書籍は残らなければならない、残ってほしい
という、思い込みや願望から議論を始めているようだ。
人はどうしても、今現在のありようを全否定しにくい。
しかし、紙書籍を擁護する人でも、

・日本人であればやっぱり季節感あふれる着物を着るべきだ
・メールなど無味乾燥だから手紙に戻そう

と言われたら、やはり躊躇してしまうだろう。
物書きの一人としては、
どういう形で出版するか(how)
ということは時代の流れとして肯定し、その中で
何を書くか (what)
をまず模索する必要があると考えている。

外国語の教え方は、書籍の形態より変わりにくいものだから、
僕のささやかな夢は70歳ころまでには
『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
ほか、自分の書籍を
・ペンタッチ検索付き
・著者朗読の音声付き
など企画満載で「スリーエー電子ライブラリー」から新装版で出すことだ。

フィルムカメラカメラがたどった運命や紙の辞書が電子辞書には勝てない現在を考えて、
出版社、著者、読者は、また新しい著作の形を考えなければならないだろう。

 

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