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荒川教授の「とりあえず日本語」ブログ
第17回 鴨は恥じたかも!?


言語学を勉強していると、

―イヌ犬とかネコ猫にも言葉があるんですか?

と、時々聞かれる。
イヌやネコの代わりに、イルカの場合もあるし、ミツバチの場合もある。

簡単に書くと、人間以外の動物には、人間の言語の特徴はない。
では僕たちの言葉と、うちの庭に時々来るネコ(ブチ)の声との違いは何かというと、
それは以下の2点だ。

①僕たちは昨日のことや、行ったことのない外国のことや、
他人の心境の推察とかを語れるけど、
ブチは何か言ったとしても「今・ここ・自分」しか言えない
②僕たちは、他人も自分とほぼ同じように世界を見ているだろうと考えているが、
ブチは例えば近所のミケのことは分からないし、知ろうともしない

①は言語の「超越性」として有名だ。
ほかにも人間の言語には文の作り方の規則、
つまり「統語性」が独自のものだといわれてきた。

でも理化学研究所で生物言語を研究している岡ノ谷一夫さんは、
ジュウシマツの歌声るんるんに一定の統語構造があることを発見し、
これは理系っぽい言語学の方では、
それ以前の常識を揺るがす大ニュースになった。
かくして、「統語性」が人間言語独自のものかどうかは、
ちょっと疑問が呈されている。

さて、②は僕が勉強する認知言語学では、大事な考え方だ。
ことばを話す者どうしが、

相手も同じように世界を見ているだろう

という前提(共同注意フレーム)を持っているかどうかは、
コミュニケーションする上で、動物と人間を、決定的に分かつところだ。
まあネコというのは視覚の認知がかなり悪いらしく、
WiMAXに出てくるネコ猫の広告写真を目の前に置いても、
それに用心して構えるから(実験済みです)、
相手のことを想像した上での対話の枠組み作り(フレーム構築)
なんて高級な真似は、まずできないだろう。

-でも家のネコは、近所のネコと唸り合って話しています。
という意見や報告があるかもしれない。
でもあれは、会話というより本能中心のやり取りだ。
唸り声の帰結はたいていケンカであって、
ネコにとっては根源的な本能を示したに過ぎない。

逆に言えば怒り以外の情動、つまり歓喜とか悲哀とかを持つのは、
霊長類か、せいぜいサルやイヌといった賢い動物までで、
残念ながらネコ以下の動物には持てないようだ。


ただし僕は1回だけ、これを揺るがすような光景を見たことがある。

10年ほど前、雪雪が降った翌日に、近所の別所沼へ散歩に行った。
別所沼には冬、カモが飛来する。
僕と妻は硬くなった食パンを持ってきて、
集まるカモたちに、それを適当にちぎっては与えていた。
冬のカモは慢性的な食餌不足になるようで、このときも仲間内で取り合いになった。
するとそのうちの強欲な一羽が先にパンにありつこうとして、
水辺から沼を取り巻く石の上に上がろうとした。
しかしカモにとって、雪の翌日で石が滑りやすくなっていたのは想定外だった。
そのカモは、

―クワック?exclamation×2

と困惑した声を上げると水掻の付いた足を滑らせ、
羽をばたつかせて水上に転落した。

他のカモは、もちろん例の
今・ここ・自分
しかないから、無視してパンを追いかけていた。
滑った当のカモは、クワクワと弱気に啼きながらパンをあきらめ、水辺を去っていった。
なるべく擬人化しないようにカモを見ていたけれど、
カモの後姿に見え隠れしていた情動は、明らかに後悔羞恥だったように思う。?ふらふら

 

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